いたみ。

その野球のお母さんは、綺麗に御化粧をして、
微笑むように眠っていました。


棺の傍らには、何枚もの写真が飾られていました・・・。
すべての写真の中で、そのお母さんはシアワセそうに笑っていました。


生まれたばかりの子供を抱きしめる姿や、
小学校の入学式の日に、
校門の前で子供と並んで立つ姿や、
あらゆる何気ない日常の様子の写真でさえも、
そのお母さんの笑顔は輝いていました。


元気いっぱいだった頃、
このお母さんもまた、
子供たちの野球のグラウンドにいる事が大好きだったのだと伺いました。
残念ながら僕は、グラウンドで彼女の姿を見る事は出来なかったのですが、
彼女もそう、間違いなく僕らの仲間でした・・・。
この街に響く、子供たちのカキーン!が大好きな仲間でした。


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僕ら父親よりも、
彼女たち母親の子供に注ぐ愛は、
ずっとずっと遥かに大きいものだと思います。


子供たちの未来を案じ、
それでも逝かなければならなかった彼女の悲しみを想うと、
胸が張り裂けんばかりに痛みます。


悼みを、痛みと読む意味を今、
あらためて僕は深く深く考え続けています。


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