夢とか希望とは

今日から子供たちは新学期。元気に出掛けて行った。3学期も健やかに日々大切に過ごして欲しい。
朝のニュースの話題はもっぱら昨日の成人式の様子。荒れる成人式を期待しているフシがマスコミには、ある。
大部分の新成人は真面目だし、ひたむきなはずだ。その若者たちを受け入れる大きさを、我々の社会が持っているだろうか?それこそが重要だと思う。
彼らより18年だけはやく生まれただけの僕らの世代、とても偉そうなことは言えないけれど。
この小さな国で年間の自殺者が3万人を超える。異常な時代だ。勝ち組負け組なんて言葉で人間を分類しようとする。悲しい時代だ。
この時代に成人式を迎えた彼らに、夢や希望を持てなんて酷だし無責任な言い草だ。

なんか僕らの生き方が問われている気がする。若者たちが信じるに値する大人になっているのか?真剣に、誠実に生きているだろうか。僕もまだ答えは見つけられずにいる。
真剣に野球をしている子供たちの姿を見て、思ったことがある。
人生は報われることの無いかもしれない努力を、黙々とくりかえす積み重ねだと。ただそこに小さな喜びが時々訪れる。その喜びを感じることが出来るか出来ないかの違いが、幸、不幸の差なんだろう、と。
それは野球だけじゃなく仕事だってそうだ。黙々とくりかえす積み重ねの人生を歩む、大切な人と巡り合う。愛しい子供を授かる。日々を黙々と生きる。

うーん、ワシ、まだ熱があるのかな。
さて、と今日も一日を大切に生きるとしよう。