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一番古い記憶を辿ると三歳・・・。
母方の祖父と手をつないで歩いていた・・・。
一昨日、
戸田斎場で見掛けた、
おそらく祖父の葬儀に参列していたのであろう球児の少年を思い浮かべながら思い出したのだ・・・。
僕は、祖父が大好きだった・・・。
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巣鴨の乳幼児だった僕は、なんだか毎日、な、
滝野川にあったオフクロの実家で過ごしていた・・・。
弟が入っている重たいお腹を抱え、徒歩圏にある実家に連日帰省している若い母親だったんだな、我がオフクロは・・・。
今思うと、当時の祖父は五十代半ば、
随分と若かったものだ。
祖父はT教の教会長で、
自分や家族のシアワセは全て後回しにしていて、
いつもよその人のシアワセのために奔走していた。
よって、オフクロの実家は豊かではなかったのだけれど、いつもたくさんの人がいて賑やかで明るかった・・・。
「いちばん悲しそうな顔をしてる人とトモダチになりなさい。」や、
「何かがあった時には必ず弱い側の人たちの味方になりなさい。」は、
その頃の祖父の言葉で、
今の僕の心の基盤となっているのだから、本当にありがたい・・・。
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その時期、オフクロの実家には内湯が無くて、ね、
銭湯に毎日通っていた・・・。
昭和四十年代初頭、
それは、一般的な庶民の様子だったのだけれど・・・。
三歳だった僕は、
祖父と手をつないで銭湯に通った・・・。
祖父に頭を洗ってもらったのは、良き思い出。
ある日、
銭湯の湯船に浸かっていると、
目の前をプカプカと、
小さなウンコが浮かんでいた。
周りを見渡しても、ね、
幼児は僕だけなので、
僕は嫌疑の視線にさらされたんだ・・・。
違う!
僕じゃない!
僕のウンコじゃありませぬ!
と、言いたかったのだけれど言えなかったのが悔しい。
まだあまり喋れなかったのだ僕は・・・。
すると祖父は両手のひらで素早くウンコをすくい、
サッと湯船の外に出し、
周りの人に謝っていた・・・。
「孫、三歳なんです、スミマセン。」って・・・。
周りの人たちも笑っていたし、それでめでたしめでたしだったのだが、
真犯人は未だに不明・・・。
祖父と、常に祖父の周りに溢れる笑顔に免じて僕も許す事にした・・・。
銭湯は昔、
プカプカといろんな物が浮かんでいた。
だからタオルは湯船に入れちゃいけないんだよね・・・。
帰り道、
祖父と立ち寄る焼き鳥屋さんが楽しみだった・・・。
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祖父の魂は今も共にある。
僕の心の中にある。
見守っていてくれると感じる事しばしば・・・。
火葬場の炉の前にいた球児の君よ、
君のお爺さんは、さ、
どんなお爺さんだったんだい?