2月6日/記述

高校の同窓生が繋がるLINEで、同級生の訃報に接した。
どこを探しても今日は、シアワセは見つからない。
ただただ悲しくて、痛い。
あらためて悼むとは、痛みの事なのだと噛み締める。


何でだろう?神様は、
良い人間や優しい人間や、
やりたい事がまだまだたくさんある人間から先に連れて行ってしまう。
そんな気がしてならないよ・・・。


50歳になる年の大同窓会で、
みんなが元気で会える事を僕は楽しみにしていた。
残念で悲しくて、痛くて痛くてならない・・・。


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景色が滲んできたので、僕は車をコンビニの駐車場に停めた。
泣いてもいいか?
しばらくの間、泣かせてくれ・・・。


・・・・・ ・・・・・ ・・・・・ ・・・・・


立派になんかなっていなくていい。
偉くなんてなっていなくていい。


30年前の、一人一人のあの笑顔に時折会いたいんだ。
今がたとえどんな姿になっていても、笑顔は変わらないからだ。
会って笑顔で手を繋ぎ、肩を叩き合いたいだけだ。


立派じゃなくていい、偉くなくていい、
30年経っても僕なんかね、一番ダメなヤツのままだぞ。


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コンビニの駐車場の日陰には、
薄っすらと雪が残っていた・・・。