その朝僕は、
お向かいの庭に咲く白梅の写真を撮り、
お向かいのご主人の薀蓄に耳を傾けて頷き、
すっかりと春爛漫の気分になって出掛けたのであった。


御徒町で取引先を廻り、
普通にお昼ゴハンを食べて、
そして迎えた午後に地震に遭った・・・。


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今日はどのラジオ局も5年前の震災の話題一色だ。
忘れていないよ、誰だって。
そんなメッセージを強く感じた・・・。


少しホッとしながら一日を過ごした。


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あの日、
地震の直後に僕は、
弁当屋さんの売れ残っていたオニギリを全部とペットボトルの飲料を買い、
急いで車で帰途に着いた。
御徒町から東久留米までは、通常の4倍も時間が掛かった。


道中、
小用を足すために立ち寄ったコンビニには既に食べ物は売り切れで無くなっていて、
呆然と佇む帰宅途中の高校球児にオニギリを与えた。
僕が出来た ひとだすけ は、それだけだ・・・。


たくさんの人が家に向かって歩いていた。
もしかしたら東久留米まで徒歩で帰らなくてはならない人もその中にいたかもしれない。
僕は当時、ワゴン車(8人乗り)だった。
紙に「 東久留米方面 」と書いて車に貼っておけば良かったと後悔している。


次回、
(もちろん災害に次回が無い事を祈るが、)
何かがあった際には、もっともっと多くの人の役に立つ方法を考えたい。
混乱の中でも冷静に、より良き判断が出来るオジサンになりたいとつくづく思う。


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5年の月日は過ぎたけれど、まだ終わらぬ悲しみがある。
心のどこかで常に誰かの悲しみに寄り添いながら生きよう。


なにしろ50歳になるんだもんな、
自分自身のシアワセよりも、
子供たちや孫たちの世代のシアワセを考えながら生きよう。


あれから5年目の3月11日に、僕はそう考えている。