この期に及んで原発を推進しようとしている人たちも、
お正月には初詣に出掛けたのだろうかと考えた。
彼らは何を祈り、何を願ったのだろうか。


神さまからすれば、
「 貴様っ、一体どのツラぶら下げて来やがったっ! 」に違いないのだから、な、
ただただ許しを乞うための初詣なのだとしたらあまりにも悲しいじゃないか。


神さまは、全部見ている。
神さまを悲しませる行いをしてはいけませんよって事よ。


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僕なんかは一切の しがらみ が無いからな、
良い事か悪い事かを全部自分の心で選べる。
そんな単純な事だが、それは一番シアワセな事かもしれない。


立場上、
黒いモノを白いと言わなければならない人たちの本当の悲しさや苦しみを想えば、
ずっとずっとシアワセだ。


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神社へ参詣する事や神殿に額づく事だけでは信仰とは呼べなくて、
日々共に傍にいて下さる神さまと心の中で対話を重ねる事が本当の信仰なんじゃないだろうか・・・。


な〜んて事をだな、
小網神社の帰途、
ジンジン熱く感じる心と身体で自然に考えたのであった。


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世界中の人がシアワセになるために考えなくてはならない事とは何か?


そんな難解ホークスな問い。


その答えを考え続ける50代にしたいものだ・・・。