いろんな人が登場して、それぞれお気に入りのアルバムを1時間かけて流す番組、
NHK-FM・夜のプレイリストで紹介されていたのは、尾崎豊の「 十七歳の地図 」だった。


時を超えて、今でもOZAKIは凍土を疾走し続けている。


僕なんかはアナタ、
それこそレコードが擦り切れるまで、
テープがビロビロに伸びるまで聴き込んだアルバムだ。


懐かしくは、ない。
ちょっぴり恥ずかしいけれど今もなおリアルに胸を打たれるアルバムだ。


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OZAKIの魂はこうして時々僕の前に現れて、
この喉元にナイフのような純粋さを突き付けるのだ・・・。


僕ら同世代の人間は、OZAKIの倍を生き抜いた。
OZAKIが知らなかった事、見つけられなかった事を幾つも知り、見つけて今を生きてるはずだ。
けれど、この若いOZAKIの唄にジンとして、涙が出るのは何故だろう?


アナタもそうかい?
OZAKIを聴くと今でも泣いてしまうのかい?
それならアナタもまだ大丈夫だ。
アナタの心の中にある 大切な物 が僕にはハッキリと見える。
アナタもまだ、大切な物 を失くしてはいない・・・。


ちょっぴり恥ずかしいし、照れ臭いのだけれど、
OZAKIよ、僕らならまだ大丈夫です・・・。


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誰もが昔、あんな大人にはなりたくないと思っていた。
あんな大人になりたくないと思っていた僕は、こんな大人になってしまった。
こんな大人になってしまったけれど、僕は僕を好きでいてあげたい。


50代になった今、思うのは、
あんな大人になってしまったヤツらの生き方も認めてあげたいって事だ。
好きでいてあげたいって事だよ。


ヤツらの痛みや哀しみに、いつの間にか想いを馳せる事が出来るようになった。


たぶん、それが、
こんな大人になってしまった僕らの役割なのだろうな。


世の中には、ダメな人間なんて一人もいないんだからさ・・・。
不必要な人間なんて一人もいないんだからさ・・・。


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OZAKIよ、
僕ならまだ大丈夫です。


五十一歳の白地図にシアワセを書き込みながら今日も生きられました。