今夜、月が見えるといいね。

 僕が今のハヤトと同じ5年生だった時だから、もう27年も昔の事になる。
従兄のお兄さんと弟と3人で、はじめてプロ野球を観に言った。
僕と弟は巨人の帽子をかぶっていた。YGのマークがワッペンじゃなくて刺繍の帽子。それを買ってもらってうれしくてたまらなかった時だから・・間違いなく5年生の5月だ。

神宮球場の3塁側自由席。生まれて初めて見るスタジアムはカクテルライトに照らされとてもきれいだった。芝生の緑、褐色の土、真っ白なライン。だんだん暗くなる夕空。

知らないおじさんが声を掛けてきた。つぶした缶をぐるりと巻きつけたカンカン帽をかぶった恐そうなおじさんだった。「ここはファウル危ないからおじさんの隣においで。」僕と弟はおじさんの両脇に座った。それからがすごかった、ジュース、お菓子、焼きそば・・次から次に買ってくれた。・・・試合の解説までしてくれた。

王貞治のホームランが出た。思い出した、王にとって一番つらかったスランプを脱した一本だと後に聞いた。「王ちゃん、これで大丈夫だ」とおじさんが言っていた。ビールですっかり酔っ払いながら。

そしてヤクルトの選手がホームランを打った。ものすごい角度で。王のホームランはスタンドに突き刺ささったが、この選手のホームランはスタンドへ放り込むと云った感じだった。豪快だった。「すげー。びっくりしたー。」その大きな選手は両手で投げキッスをしながらベースを回った。

「この人はね、月にむかってホームランを打つんだよ。」おじさんが話し始めた。
その選手はお父さんを早くに亡くしてとても貧しい家に育ったこと、お兄さんが働いてその人に野球を続けさせたこと、お兄さんも若くして亡くなったこと、お兄さんが月から自分を応援してくれていると信じていること。お兄さんに届け!とホームランを打っていること、そして東映フライヤーズと云うものすごくかっこいいチームがあったこと。張本も彼もそのチームにいたこと、を。・・・その選手の名前は、大杉勝男

ハヤト、お父さんが一番好きだった野球選手。今の君と同じ5年生の時から。

あのおじさんの言ってたこと、今でもお父さんは信じているんだ。野球はロマンだって。月にむかってホームランを打っていた男が本当にいたんだよ。

 中秋の名月、今日見えるかなぁ、大杉勝男も月に行ってしまった。月からきっと君の夜の素振りをみてくれているといいなぁ。