残せるもの

今年、小学校時代からの友人のお父さんが亡くなった。僕ら38歳、まだ親を送るには少し早い。
彼は野球少年だった。体格も大きく、性格も良く、いい奴だった。
小学校の頃、日曜日、ユニフォームを着た彼とジャージ姿の親父さんが、同じ帽子を被って自転車で出掛けるのをよく見かけた。
気さくな親父さんで、僕もとてもよくして貰った。僕らの成人式の夜、親父さんと飲んだ。なにかしら息子の友達の事まで気に掛けてくれる人だった。

お通夜、失礼を承知で読経や弔問客の多い時間を避けて、カミさんと二人、伺った。
お焼香を済ませた後、ゆっくり彼と話せた。
「いい親父さんだったな。」
「ああ、いい親父だった。」思い出話はいつしか彼が野球小僧だった頃の話題になった。「親父は野球なんて下手くそでさ、コーチ面して練習に来ても球ひろい専門だったんだよ。でも、毎週欠かさず付き合ってくれてた。俺は結構うれしかったんだぜ。」
「いい親父さんだったな。」
「ああ、寂しくなるよ。」

家に帰る。娘と息子がお清めの塩を祓ってくれる。僕も彼の親父さんのように、この子たちの心になにか残せるのかな。

彼から喪中のハガキが届く。父、永眠、この言葉が悲しい。
今、とにかく今を大切に生きよう。