夏、偉人の足跡

hayatonooyaji2005-08-07


昨日の夕刊で初めて知った。
偉人、張本勲氏の物語。
平和な時代に野球の出来る喜びを子供たちに伝えるために、偉人は心の封印を解いた。


1945年8月6日・・・朝・・・トタン屋根の長屋・・・ヒロシマ・・・
5歳の勲少年・・・遊びに出掛けようと玄関を出る。
ピカッ!と閃光が走った。
お母さんが覆いかぶさり、一命をとりとめる。
しかしやさしかったお姉さんは亡くなる。
あの時代の日本で、在日韓国人の母子は苦難の道を歩む。
闇市のホルモン・・・お母さんの愛情・・・・


手の火傷のハンデは、あの夏に負ったのか。
心の傷はお母さんが癒してくれた。
あらためて想う。どんな時代でも母親の愛は偉大だ。


プロ野球選手になって、家族をお腹いっぱいにしたい。」


浪商・・・1キロのバットで毎日5時間の素振り・・・
1959年、東映フライヤーズに入団・・・
安打製造機・・・広角打法・・・3000本安打・・・名球会・・・
球界の偉人・・・打撃の職人・・・
1981年、引退。
500本以上のホームランを打ち、且つ300盗塁を達成したのは、張本氏ただ1人である。


「あの日、死んでもおかしくなかった。野球で倒れても悔いはない」


大切なお母さんの言葉に従い、現在も韓国籍
誇り高く生きる姿勢に胸が熱くなった。
野球で韓国と日本の架け橋となった男は、戦争の悲惨さと原爆の歴史を風化させないために、心の封印を解いた。
心の強い男・・・65歳の野球小僧。


そうだった。子供の頃テレビで見た張本選手はね、
どんな凡打でも1塁まで全力疾走していた。


あの夏から60年、昨日も空は青かった。


張本氏から見れば、ハヤトたちは孫の世代か・・・・
真っ黒に日焼けして合宿から帰ってきた。


今日は本当に、心から思う。


平和な時代に野球の出来る喜びを感じてほしい。