忘れ得ぬ名選手

hayatonooyaji2007-04-18

生まれて初めてプロ野球を観に行った時の感激を憶えている・・・。
暗い階段を登り、スタンドに着いて味わう開放感・・・。
照明に照らされた芝生の美しかったこと・・・。
うれしかったなぁ・・・、本当にうれしかったなぁ・・・。


その日のね、我が巨人軍のオーダーならば今でも暗唱出来る。


1番センター・柴田。2番サード・高田。3番レフト・張本。
4番ファースト・王。5番ライト・末次。6番セカンド・土井。
7番ショート・河埜。8番キャッチャー・吉田。9番ピッチャー・新浦。


V9の抜け殻などと揶揄されていた時代だったのだけれど、
彼らは僕らのヒーローだった。


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あれから30年もの時間が過ぎた・・・。
でも、野球は変わらず輝いている・・・。
今日も日本中のあちらこちらで、あの日の僕のような子供たちが、
生まれて初めてのプロ野球観戦で思い出を作ったに違いない・・・。


おそらく30年後、
現在活躍している選手たちが、今日の子供たちのヒーローになっているはずだ。
大人になった子供たちが、そのまた子供たちにね、ヒーローたちの話を聞かせているだろう。


線路は続くよ、どこまでも・・・。
野球だって続くよ、いつまでも・・・。


キラキラとワクワクの気持ちに溢れて・・・。


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先日、テレビで巨人戦を見ていた時の事。
韓国のメディアの人たちの様子が紹介されていた・・・。
僕らが日本人メジャーリーガーを応援しているようにね、
韓国の人たちはスンちゃんの活躍する姿を注目して見ているそうだ。
ちょっぴり誇らしいキムチ(気持ち)になる・・・。
国境を越えて、野球のワクワク感はさ、世界中の誰もが共有出来るんだ・・・。


韓国のメディアの放送席が映される・・・。
アナウンサーの人と、解説者の人・・・。
解説者の人の顔を見て驚いた!
白仁天さんである!間違いない!
本当に驚いた!コリアたまげた!なんちゃってな。


白仁天さんだ・・・。
大杉勝男さんの次に大好きな選手だったんだ。
あのニコッと笑う表情が懐かしい・・・。
元気そうでうれしい・・・。


写真は、プロ野球スナックカードの白仁天さん。
昭和51年、当時33歳の顔。
う〜む、御年63歳なりか、ますます意気軒昂の様子に感激した。
子供時代の僕のヒーロー・・・。


白仁天さんのプロフィールを紹介しよう。
(昭和51年当時)
太平洋クラブライオンズ
外野手、背番号6、韓国京東高校出身。
昭和50年、打率3割1分9厘の成績でパ・リーグ首位打者のタイトルを獲得。
練習熱心で、「誠実なプレー」が信条。


「喝!」でお馴染み、張本勲さんらと共に、日本球界と韓国球界の架け橋となった。


忘れ得ぬ名選手、白仁天
現代の野球少年たちにもね、知っていてほしい選手の1人。


格好いいでしょ!


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今日も野球は輝いていた。


楽天田中将大投手!
プロ入り初勝利!
高卒ルーキーが完投で初勝利を挙げるのはね、2年前のダルビッシュ投手以来の事。


しかもダルビッシュ投手の初勝利は9月。
田中投手は4月・・・。
まさしく偉業と言えよう・・・。

がんばれ!「投げる職人」への道!
険しい道だろうけれど、焦らずに一歩ずつ・・・。


30年後、大人になった子供たちの心の中で、
君がヒーローでありますように・・・。


大丈夫!オッケー!
ノープロブレムだっ!
マーくん・・・。