あまりにも悲しい。
警笛を鳴らしながら列車が近づいて来る・・・。
踏み切りの中で立ち止まっていた2人の少女たちは、その瞬間、両手で耳をふさぐようにしてしゃがみ込んだ。
福岡県で起きた事故の事です。
おそらくは、自ら死を選んだと思われる少女たちの身元が判明したと言うニュースを聴きました。
立川市に住んでいた15歳、高校1年生なのだそうです・・・。
僕の娘と同い年です。
どうしても他人事だとは思えなくて、胸がつぶれそうに痛くて仕方ありません。
どうか若い人たちに知っていてほしいのです。
今、この世に生を受けている事自体が奇跡なのです。
たとえどんな苦難があったとしても、決して自ら命を絶ってはならないのです。
こんなセリフは言い古されているのかもしれません・・・。
でも、僕は、ずっとずっと言い続けるだろうと思います。
死ぬな!
どんな事があっても死ぬな!
生きろ!
どんなにみじめでブザマな姿でも生きろ!
なぜなら、あなたが死んでしまったら僕が悲しくなるからです。
この世に、死んでしまえばいい人間なんて1人もいないのです。
この世には、絶望なんて存在しないのです。
信じてほしいのです。
死ななければならない絶望なんてありえないのです。
パソコンのキーボードで文字を打ちながら、
怒りにも似た悲しみで一杯になっています・・・。
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子供の頃、
僕の机の本棚には、「ぼくは12歳」と云う詩集がありました。
ちょうど12歳だった僕は、何度も何度もその詩集を読みました・・・。
まるでガラス細工のような繊細な詩は、いろいろな事を考え始めていた12歳の僕に、大切な何かを教えてくれました。
いみじくもそれは、生きることの意味を深く示唆していたのです。
けれど、この詩集を書いた岡真史くんは、僅か12歳で死を選んでしまいました・・・。
詩集の巻末に、その死について書かれていたのですが、
なぜか小さかった頃の僕は、大切な友人を失ってしまったような気持ちになっていました・・・。
この少年が書く新しい詩が読みたかったのです。
死んでしまったら詩人は、新しい詩を書く事が出来ないのです。
世の中で一番悲しい事です。
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岡真史くんのお父さんが作家で詩人であると知ったのは、僕が中学生になってからです。
高史明さん。
(コ・サミョン)さんと言います。
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今、僕の背骨を形作っているのは、高史明さんの詩です。
僕は、決して正しい人間ではありません。
けれど、正しくありたいと願っている人間です。
それを教えてくれたのが高史明さんの詩でした・・・。
生きなければと思います。
娘と息子にね、生き抜く姿を見せなければと思います。
どんなにブザマでも格好悪くても・・・。
高史明さんの詩は、僕の精神の父です。
決して揺らがず僕は人生を全うするのだろうって信じていられるのです・・・。
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高史明著、「生きることの意味」
多くの若い人たちに呼んでもらいたいと思います。
人生に絶望なんてない・・・。
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娘と同い年の亡くなった少女たち・・・。
人生を味わう術を教えてあげたかった・・・。
悔しくてならない・・・。
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あまりにも悲しくて悔しい・・・。