生きる
1984年の夏、僕が高校3年生の時のクラス写真です・・・。
亡くなった友達の思い出を探しながらアルバムをめくっていて、結局僕は、この写真に辿り着きました。
クラスメートの誰もが笑っている写真です・・・。
亡くなった友達もね、この写真の中で笑いながら写っていました・・・。
いいクラスでした・・・。
いいクラスメートたちでした・・・。
みんなが笑っている写真です、
やっぱりね、人間は笑っている顔が一番いい・・・。
それをあらためて僕は強く感じました・・・。
10代の頃の自分達を、とてもとても愛しく思えたのです・・・。
人間は誰だってシアワセになるために生まれてきて、そしてシアワセになるためにがんばって生きているのです。
心が真っ白なキャンバスみたいな時期がありました・・・。
その頃、僕たちはね、こんな顔をして笑っていたのです・・・。
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ふと、ラジオから流れてきたニュースがありました。
神戸で、陰湿なイジメによって自殺してしまった高校3年生の少年にまつわる内容でした・・・。
僕は、この写真を見ながらそのニュースを聞き、より深い悲しみの気持ちになりました・・・。
僕や、僕の周りにいる友達たちは、イジメなんて無縁だった時代に生きていられたからです・・・。
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神戸の事件で自殺してしまった男の子に言いたい事があります。
生きたくても死ななければならなかった生命について考えてほしかった・・・。
彼を自殺に追い込んだ者たちに言いたい事があります。
君たちは卑怯者だ・・・。
生きたい!生きたい!生きたい!生きたい!と願い、
そして逝ってしまった友達を想う時、僕は君たちを許せないのです・・・。
悲しい時代の高校生の君たちを、心のどこかで可哀想に思いながらも・・・。
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写真を見ます。
僕のクラスメートたちはね、みんなみんな笑っていました・・・。
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野良犬にさえなれなかったとしてもね・・・。
僕らはシアワセになるために必死で生きています・・・。
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41歳だ。
普通のオッサンとして生きている僕なのですが・・・。
でもね、毎日シアワセを探して感じながら生きています・・・。
ずっとずっとそうでした・・・。
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この写真の1年後、とても可愛かった女の子に出会った・・・。
(過去形で書いている事に深い意味はない・・・。本当だよ。)
とてもとても好きになって結婚した・・・。
そして子供が生まれた。
女の子と男の子だ・・・。
娘は今、高校生。
もうちょっとで今日の日記の写真の僕たちと同じ年頃になる。
たくさんたくさん笑っていてほしいと願う・・・。
息子は今、中学生になっても野球をしている・・・。
僕は野球をしている息子や、仲間たちの傍にいる事が出来る・・・。
そんな週末がとってもシアワセ・・・。
仕事は大変だ・・・。
生きる事の厳しさに打ちのめられそうになりながら必死にがんばっている・・・。
それだけの僕だ・・・。
でもね、とてもシアワセな僕だ・・・。
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亡くなった同級生の痛みに想いを馳せていようと考えています・・・。