僕ハ野球ヲ習ッテイマス。・・・小さな頃のハヤトの言葉。

hayatonooyaji2007-11-15

「オ父サン、僕、野球ヲ習イタイノ・・・。」
それは西暦2000年、小学校1年生になったばかりの春、ハヤトが言った味わい深いセリフです。
最近僕は、その時の気持ちを、どうだったのかとハヤトに聞いてみたのですが、
「う〜ん、・・・小さすぎて記憶にないんだよ・・・。」なんて言われてしまいました。
たぶん、物心がつく以前の出来事だったのですから、それは仕方のない事なのでしょうけれど・・・。
でも思えば、それからず〜っと、野球が彼の生活の中心になっていて、今もなお、ますます野球の魅力に憑かれてしまっているのですから、彼自身はね、本当にシアワセな野球小僧なのだと思います・・・。
そして、物心がつく以前の言葉が、「野球を習いたい。」であった事が、現在の僕を安心させてくれています。
この男にとっては、野球は学ぶもの・・・。
考えて考えて、更に考えて、全力でプレーするものなのだと、本能のレベルで感じているだろうと思えるからです。


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野球を習う。


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おそらく、多くの野球少年たちにも、ね、
野球は習うもの・・・で、あってほしい・・・。


そんな事を、僕は願っているのです・・・。


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考えるスポーツである野球。
しっかりとしっかりと瞬時に判断をして動かなければなりません・・・。


仲間たちと共に闘うスポーツである野球。
人間ってね、必ず社会の中で生きていかなければならない存在なのです。
仲間たちと力を合わせて局面を乗り切ろうとする意志は、人間という言葉が持つ本来の意味を・・・、
そして、考えて実践する大切さを教えてくれます・・・。
人と人の間を結ぶ、じんかん(人間って言葉が持つ、本来の意味なんだよ・・・。)・・・、
それを学ぶ事が出来ます・・・。


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この秋、それぞれに所属していたチームを辞めてしまった子供たちにね、
僕はどうしても言いたいのです・・・。


苦しくてもね、
悲しくてもね、


絶対に野球から離れてはダメ!・・・だよ。


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野球はね、学ぶもの・・・。


「僕、野球ヲ習イタイノ・・・。」


とっても小さな頃のハヤトの言葉です・・・。


そして、小学校にあった野球チームに入れてもらって野球小僧になりました。


生まれて初めてユニフォームを着た時の笑顔を、僕はいつまでも忘れないでしょう・・・。


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いつまでも・・・ね、


野球を学ぶ事を真剣に希求している子供であり続けてほしい・・・。


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いつか大人になった時、
正しくて優しい考え方をする事が出来る人間になりますように・・・。


一歩ずつの小さな歩みなのですが、
しっかりと野球がハヤトにね、大切な事を教えてくれています・・・。


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他者の痛みも自分の痛みも・・・。


誰かの痛みを感じる心も。
自分の痛みを感じてくれる誰かの存在も。


そこから得る、人間の絆。
信頼し、信頼される事の喜び・・・。


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八景イズム・・・。


野球を学びたい!と、強く願う子供がいる・・・。


野球の尊さを子供たちに伝えようとする指導者がいる・・・。


ロマンがある・・・。
ドラマがある・・・。


何かが始まる予感に溢れているんだ・・・。


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中学2年生。
(でもね、早生まれなので、実質は1年生と変わらないのかも・・・。)


大きくなった。
本当に大きくなりました。


あと4センチ・・・。


僕の背丈を抜かすまで・・・。