忘れてはならぬ・・・。

あの大きな地震で、僕の先輩は、当時10歳だった御長男を亡くした・・・。
あの大きな地震から、もう13年もの歳月が流れた・・・。
歳月は流れたのだけれど、失った宝物のために泣いている人たちの傷は癒えぬ・・・。
けっして癒えぬ・・・。
13年間もきっと、痛みや悲しみや後悔ばかりにさいなまれているであろう人たちがいる・・・。
僕らも忘れてはならぬ・・・。
記憶の奥に風化させてはならぬ・・・。


生きていたなら23歳の青年になっていた・・・。
僕が尊敬する先輩の長男なんだもの、凛々しい青年になっていたはずだ・・・。
先輩の無念を想う・・・。
だが、先輩の本当の悲しみには遠く及ばない・・・。


その前の晩、京都への出張を控えていた先輩はね、会議で使用するための資料を作っていた・・・。
自宅でね、パソコンの前に座りっぱなしで資料を作っていた・・・。
「お父さん、遊ぼうよ・・・。」
長男は、ずっとずっと先輩にせがんでいたのだそうだ・・・。
だって10歳の男の子なんだもんね、まだまだお父さんと遊びたい盛りだったんだ・・・。
「こらっ!邪魔をするな!早く寝なさい!」


それが親子の最後の会話だった・・・。


翌、早朝の地震・・・。
神戸、西宮にあった先輩の自宅は全壊・・・。


先輩は必死に、息子の行方を瓦礫の中に探した・・・。
梁の下に見つけた息子の足・・・。
助け出そうと手を触れた瞬間に伝わった息子の身体の冷たさ・・・。
リヤカーに息子の遺体を載せ、火葬場に向かう道程の風景・・・。


先輩の悲しみはね、あまりにも大きい・・・。
でも、その悲しみすら、6434分の1に過ぎぬ悲しみ・・・。
それほどの大きな大きな悲しい災いだったんだ・・・。


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その年の3月、僕は八王子で先輩に会った・・・。
以上は、その日に先輩から聞いた話なんだよ・・・。


「遊んでやれば良かった・・・。あの時、遊んでやれば良かった・・・。」
先輩は何度も繰り返して言っていた・・・。


先輩の話を聞きつつ、僕は酒の入ったグラスを見つめながら、何も話す事が出来なかった・・・。
ただ、大好きな詩人、高史明さんや、谷川俊太郎さんの、生きる事についての詩をずっと、
ずっと頭の中で反芻するしか出来なかった・・・。


〜生きているということ〜
〜生きる事の意味〜


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帰宅後、もうカミさんも3歳だった娘も熟睡していた・・・。
ただ、1歳だったハヤトはムズムズと起きていて、僕の姿を見つけ、ヨチヨチと歩き、抱っこを僕にせがんだ。


ハヤトを抱き上げた瞬間の体温。
それを感じた時、僕は、ポロポロと溢れ出る涙を、シアワセだと感じた・・・。


抱き上げたハヤトに頬を寄せて祈った・・・。
優しい人になってくれ・・・。
優しい人になってくれ・・・。


それ以上の何も望まぬ・・・。
これ以上は望まぬ・・・。


触れた瞬間の体温がある・・・。
それさえあればいいんだ・・・。


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6434人の命・・・。


忘れまい・・・。


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先輩の夢の中に・・・。
夢の中に出てきてくれるだろうか・・・。
あの日までの男の子・・・。


祈っていたい・・・。


あの日までの男の子だけじゃなく、
あの日からの男の子だってね、先輩の夢の中に出てきてほしいんだ・・・。


「お父さん!遊ぼうよ!」だけじゃなく、
「親父!飲もうや・・・。」なんて言ってあげてほしい・・・。


23歳になった凛々しい青年の顔で・・・。


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13年前の悲しい地震・・・。
現在、中学生のみんながね、赤ちゃんだった頃の地震・・・。


忘れてはならぬ・・・。
語り継がねばならぬ・・・。