畏怖について。

「解剖学の本」と言っても、それほど大そうな物ではない・・・。
僕が読んでいるのはね、カミさんが看護学生時代に使っていた教科書だ・・・。
いろいろと専門用語が使われていて、チンプンカンプンな部分も多いのだけれど、
とっても興味深い・・・。


そりゃそうだ。
僕が、そんなにも大それた「解剖学の本」なんて読むはずなかろう・・・。


僕は元来、非常に気が小さい男だ・・・。
子供の頃、転んだだけでは泣かないのだが、、
血が出ている事を確認してから泣くタイプの男だった・・・。


小学校5年生の時、
理科の授業でね、フナの解剖があった・・・。
僕は、それが嫌で嫌でたまらず、その朝に気分が悪くなり、そのまま学校を休んだほどだ。


歴史の教科書に載っている「ターヘル・アナトミア」の表紙の写真を見るだけでも嫌だ・・・。


大人になってからだって、仕事関係の旅行で出掛けた先の宴会の席で、
活き造りにされたイセエビがお皿から脱出して、僕に向かって歩いて来た時には悲鳴を上げた・・・。


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あれ?何でこんな話をしているんだっけ?


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そうそう、「解剖学の本」についてだったっけ・・・。


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命とかさ、身体の仕組み・・・。
あまりにも精緻で完璧なメカニズムだ・・・。
それを知れば知るほど、ね、
やはり僕は、大いなる存在について考えざるを得ない・・・。


このメカニズムも、世の中の森羅万象もすべて、
決して偶然の賜物なんかではないと思える・・・。


大いなる存在・・・。
あるいは創造主・・・。
それは確かに在ると思えるんだ・・・。


畏れを知るべきだ・・・。


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僕は、ここでよく、大いなる存在についての畏怖を書く・・・。


それぞれの御家庭に、信仰があろう・・・。
それぞれの御家庭で信仰する尊ぶべきものにあてはめて読んでほしい・・・。


畏怖(いふ)こそ子供たちに伝えるべきものだ・・・。
敬虔な気持ちで生きる事がこれからの時代のキーワードだ・・・。


・・・なんちゃって。
・・・難解な話題でちょびっと恐縮・・・。
・・・わっはっは、難解ホークス・・・なんちゃって・・・。


でもね、敬虔な気持ちってとても大切だ・・・。


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生きている不思議・・・・。


生かされていると感じられる感謝の気持ち・・・。


大いなる存在を意識し続けるからこそ、


我らは人間なり・・・。