詩、「いちばん小さかったきみに」を読んで。

とある一遍の詩の一部を抜粋して紹介しようと思う・・・。
この詩は、10年ほど前、残念ながらまだ40代の若さで病気のために亡くなられた一人の父親が、
高校球児であった息子に遺したものである・・・。


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「ずいぶんと時がたち、きみは大きくなった。
 きみは泣き虫で いちばん小さかった。


 ずいぶんと時がたち、きみは強くなった。
 きみは小さくて いちばん弱かった。」


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そんな書き出しで始まる・・・。
もしもあなたが今、野球少年を持つ父親で、
そして息子さんと一緒に歩んでいると感じられる人であるのならば、
どうか息子さんの顔を思い浮かべながら、
この書き出しの言葉を数回、反芻しながら黙読してほしい・・・。


10年ほどの時を経て尚、
父親の想いは同じだったのだと気付いて頂けるのではないだろうか・・・。


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「いちばん小さかったきみだから、
 きみはいちばん大きくなった。


 いちばん弱かったきみだから、
 きみはいちばん強くなった。


 負けてしまった今日を嘆くことはない。
 勝てるかもしれない明日を楽しみにしよう。」


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さて、
桜満開の日曜日・・・。
絶好の野球日和・・・。


自転車に乗り、
小学校の校庭へ向かう親子の姿が眩しい・・・。
学童チームのユニホーム姿が眩しい・・・。


心から野球を楽しんでカキーン!だ・・・。


月曜日の朝、
ベランダに干されるだろう洗濯物の中にきっと、ね、
大きいユニホーム、
小さいユニホーム、
まるでキャッチボールをするように、
春の風の中で揺れるんじゃないだろうか・・・。
なんてシアワセな光景なのだろう・・・。


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小さくて弱くて、泣き虫な子供の今を、
見守るように大きなお父さんのユニホームは風に揺れるだろう・・・。


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今を慈しみながら生きよう・・・。