ありがとうとサヨナラ。
今日、5月14日、午後3時5分・・・。
95歳で祖母永眠。
祖母のベッドの傍らにオフクロたち子供が集まり、
みんなで昔の思い出話をしている時にスッと息を引き取った・・・。
心はもう、すっかりと赤ちゃんのように戻ってしまっていた祖母なのだけれど、
ベッドの周りで自分の子供たちが交わす思い出話をきっと、
誰よりもしっかりとしていた頃の祖母に戻って聞いていたに違いない・・・。
懐かしくて暖かい思い出たちに見送られて祖母は旅立ったのだから、
祖母の人生はシアワセに彩られていたのだと僕は信じていたい・・・。
もう一度僕は、思い出は宝物だと言いたい・・・。
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人生とは、厳しく険しいものだ。
それは、祖母の顔に刻まれた無数の皺を見れば解る。
だが、厳しく険しくとも人は、シアワセに生きる事が出来るのだ。
無数に刻まれた皺の中にあっても祖母の表情は穏やかであった。
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子供たちが語る思い出話の多くは、
厳しく険しかった頃の時代の話だ・・・。
けれど、ひとつひとつが懐かしい。
そして、ひとつひとつが暖かい。
懐かしくて暖かくて、優しい・・・。
おそらく、人が亡くなり、
その人が天国へ持っていける唯一の財産があるとすれば、
それは、懐かしくて暖かくて優しい思い出だけだ・・・。
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人生がどんなに厳しく険しいものであろうと日々、
必ず小さくてもいいからシアワセを探して感じ、噛みしめて生きようと思う。
懐かしくて暖かくて優しい思い出を積み重ねながら・・・。
〜おばあちゃん、ありがとう〜
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祖母から昔、僕が聞いた言葉をここに書こうと思う。
小学校低学年だった頃の僕に、優しく語りかけてくれた言葉だ。
「人はいつか必ず死ぬのだけれど、
それは悲しい事じゃないの・・・。
古い着物(身体)を脱いで、心だけになって天国に行くの。
天国でね、神様や、会いたかったたくさんの人たちと会えるの。
その時のために人は、ね、一生懸命に生きなければいけないの・・・。
そして新しい着物(身体)を神様から借りて、着て、
また生まれてくるの・・・。
だから死ぬ事は、ね、悲しい事じゃないのよ・・・。」
祖母は人の「死」を、「出直し」と呼んでいたのだけれど、
それが本当ならばいいのになと今、僕は思う・・・。
僕は思ってはいるのだけれど、それでもやっぱり悲しい・・・。
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祖母のなきがらを見送り、
僕は病院を後にした・・・。
〜おばあちゃん、ありがとう
本当にありがとう〜
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カミさんと子供たちの顔を見て、
その声を聞いて、
僕は、布団の中に潜り込んで、
祖母のために生まれて初めて泣いた・・・。