その双肩に背負わせてはならぬ。
あの夏も僕は神戸にいた。
高校を卒業してから2年目の夏、僕は甲子園の3塁側外野席にいた。
イヤホンでラジオの中継を聴きながら、灼熱の真夏の昼下がりに僕はいた・・・。
カキーン!の音がしてレフトへの大飛球。
ラジオのアナウンサーは、あわや!と実況しながら叫んでいたのだけれど、
ちょうど僕の目の前を行く大きなフライは、まるで外野手のグローブに吸い込まれるように角度を変えた。
本当に不思議な光景であった・・・。
実況中継と実際とのギャップが不思議だった・・・。
外野手が好捕。
そしてゲームセット。
歓喜と興奮の嵐が球場を包んだ。
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以上が、我が母校が夏の甲子園に於いて、悲願の全国制覇を達成した瞬間の様子だ。
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優勝に沸いた。
その時は、優勝に沸いた。
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ただ、その瞬間にマウンドにいた投手、
Mくんはその後、ボールを投げる事の出来ない肩になった・・・。
たくさんの人々の歓喜は、ひとりの球児の夢や将来と引き換えのものだったんだ・・・。
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勝って失うものがある。
その代償はあまりにも大きくて悲しいものだった・・・。
もしも母校がずっと、デルトマケなんて揶揄され続けていたとしたら、
その夏も、そう、早々と敗退していたとしたら、ね、
Mくんはずっと、その後も投げ続けていたのではないかと思う・・・。
その方がずっとずっとシアワセだったんじゃないだろうかと思う・・・。
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勝たなくてもいい。
誤解されてしまうかもしれないのだけれど言う。
勝たなくても勝てばいい。
そうだよ、
勝たなくても勝つ事があるんだよ、勝負事には、ね。
勝たないのに勝つ。
ややこしい言葉なものだから、
勝たないのに勝つ事を、
克つと言うんだ・・・。
勝つよりも克つ事の方がずっと大切なんだよ・・・。
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Mくんの夏から23年が経つ。
今日も神戸の甲子園ではね、素晴らしいゲームが続いている。
将来が本当に楽しみな投手が多くてワクワクする・・・。
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そんな投手たちの肩に、
母校の名誉も、
郷土の栄誉も、
決して背負わせてはならない・・・。