1番、センター柴田。
ジャイアンツの刺繍の帽子を、父が僕に買ってくれたのは、小学4年の秋の事であった・・・。
うれしくてうれしくて、
僕は、いつもその帽子を被っていたんだ・・・。
昭和50年代の東京郊外の子供。
僕らの戦隊ヒーローは、ね、
紛れもなくジャイアンツだった・・・。
(一番好きな野球選手は、ヤクルトの大杉勝男さんだった僕だが、やはりチームで言うと、大好きなのはジャイアンツだった。)
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クラスメートのイチノウくんのお母さんが保険の外交員をなさっていて、
ジャイアンツのファン感謝デーのチケットを頂いたのだった・・・。
イチノウくんとイチノウくんのお母さんと、
僕とイトウくんの四人で、ね、
後楽園球場に出掛けた・・・。
イトウくんもイチノウくんも僕も、
ジャイアンツの帽子を被っていた・・・。
ジャイアンツはキラキラしていた。
ジャイアンツは、今よりも輝いていて、眩しかった・・・。
ジャイアンツが大好きだった。
昭和50年代の東京郊外の子供は皆、
ジャイアンツが大好きだった。
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子供たちが後楽園球場のグラウンドに降りる事が出来て、僕はうれしかった。
まだ小さかった僕を、
いきなり抱き上げ、肩車してくれたのは、ね、
背番号7、
当時は赤い手袋の柴田勲さんであった・・・。
優しい目と声と、
大きな身体のギャップが愉快だった・・・。
「野球、好きかい?」
その柔らかな暖かい声は、今でも僕の心に残っている・・・。
「野球、好きかい?」
同じ言葉を今、僕も小さな子供たちに言っているのだから、ね、
柴田勲さんに感謝しなければなるまいと僕は思う・・・。
「一番好きな選手は誰だい?」
そう問われた僕が、
大きな声で大杉勝男!と答えると、
柴田勲さんは、ガクッとなる真似をして笑った・・・。
サインをもらった。
握手をしてくれた。
大杉勝男さんの次に好きな選手は、な、
柴田勲さんだ・・・。
一応・・・。
柴田さんが打つ。
柴田さんが走る。
応援している僕ら子供たちには、
その姿はまさにイナズマであった・・・。
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後年、
柴田さんは捕まる。
バカラか、ポーカー賭博であったか。
だが、復帰の記者会見で、ね、
トランプの模様の服を着て現れた柴田さんを見て、
僕は拍手した・・・。
いいんだ。
男の生きざまは、ね、
破天荒であっていい・・・。
大切なのは強さではないか?
大切なのは優しさではないか?
清廉潔白を男の人生に求めなさるな・・・。
ふと、そんな事も思う・・・。
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「野球、好きかい?」
優しく暖かく、
小さな子供に言える度量を僕も持ちたい・・・。
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しかし、あの時代のジャイアンツは、ね、
本当にカッコ良かった。
1番、センター柴田。
2番、サード高田。
3番、レフト張本。
4番、ファースト王。
5番、ライト末次。
6番、セカンド土井。
7番、ショート鴻野。
8番、キャッチャー吉田。
そして、な、
9番、ピッチャー新浦!
ジャイアンツは、キラキラしていた。
僕は、ジャイアンツの帽子を大切にしていた小学生だった・・・。