「ずいぶんとシアワセな人生だった。」との言葉を遺し、同級生の親父さんが亡くなる。
70歳・・・。


お医者さんから告げられていた余命以上の日々を心して生きたのだから、ね、
前述の言葉はまこと真意であって、
遺された家族を慰めていた・・・。


「俺が子供の頃の親父との思い出がいっぱい甦ってきちゃってさ・・・。」と、同級生は語る・・・。


ずいぶんとシアワセな人生だったと子供たちを慰めて逝った親父さんは、
同級生が語るよりも多くの思い出を携えて旅立ったのだからきっと、
悲しいけれどシアワセなサヨナラだったのではないか・・・。


そろそろこうして僕らの世代も親を送る・・・。
それはとても悲しい事なのだけれど、順ぐり、順ぐり・・・。


シアワセだったと語れる思い出は足りているか?


僕は、そう思った・・・。


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シアワセの重さを量る目盛りは思い出。


思い出は英語でメモリーという。


思い出は足りているか?
それを心して生きているか?


同級生の親父さんのように、
いつか僕もその日が来たら、
カミさんや娘や息子に、
優しい言葉を遺して旅立てるような日々を過ごして生きたい・・・。


明日からではない。
そうだよ、今日からだよ。


やはりシアワセを噛み締めながら生きていたい・・・。


慎んで同級生の親父さんのご冥福をお祈りする・・・。