震災3

テレビとラジオを消すと、いつもと同じような日曜日の光景が、目の前にある。


晴れて、とても気持ちの良い風が吹いていて、
我が家のベランダから見える高校のグラウンドでは、今日も元気いっぱいな高校生たちがサッカーをしてる・・・。


どちらが現実なのだろう?と、
ふと何かに飲み込まれてしまいそうな気持ち悪い感覚がして、
もう一度ラジオのスイッチを入れる。


やはり震災の情報が聞こえる。


テレビの画面もまた、
被災地の惨状を映している。


高校から聞こえてくるのは、
サッカーボールが蹴られ、弾む音、
ホイッスルの音、
そして歓声・・・。


どう思えばいい?
どう考えればいい?


いつもと同じ日曜日の光景の中で僕らは、
笑っていてもいいの?


スーパーマーケットはごった返していて、
ガソリンスタンドは車の行列だったのだけれど、
品物はたくさんあってほしい物は買えたし、
ガソリンも満タンに出来たよ。


申し訳ないほどだよ、
被災地と、それ以外の地域と、気付かぬうちに分けられてしまったのだろうか・・・。


誰かの痛みを想うなんて事は、
所詮、絵空事でしかないのか?


センバツ大会開催に賛成!
球児たちのハツラツプレーで被災者の方々を勇気づけてあげてほしい。」


ある方のブログに、そんな一文が記述されていた。


いつもと同じ日常を今、過ごしている側の人ならではの意見のような気がする・・・。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


僕らは太ってしまってる。
心が、さ、
きっと・・・。


もしも僕の住む街が、
あの被災地のようになっていて、
僕は瓦礫の前に立って、
そして途方に暮れているとしたら、


本当にカキーン!の音で、
球児たちのハツラツプレーで、
勇気をもらえるのだろうかと考えてみる・・・。


人一倍、な、
春も夏も高校野球を楽しみにしている僕でさえ、・・・。


それどころじゃねえ、
まったく、それどころじゃねえって思うかもしれない・・・。


大好きな大好きなカキーン!なんだけれど、
大好きな大好きなカキーン!だからこそ、
状況を考えなければなるまい・・・。


「200体の御遺体を発見。」
ニュースでそんな言葉を聞いた時、
恐ろしくて悲しくて泣きそうになった。


200人もの人々、
母と呼ばれる人もいたろう。
父と呼ばれる人もいたろう。
愛娘と呼ばれる人もいたろう。
息子と呼ばれる人もいたろう。
兄と呼ばれる人もいたろう。
弟と呼ばれる人もいたろう。
姉と呼ばれる人もいたろう。
妹と呼ばれる人もいたろう。
友と呼ばれる人もいたろう。
師と仰がれる人もいたろう。


「祈るな!手が塞がる!」


かつて哲学者が語った言葉だ。


日常と、非日常の境。
どこにいる?


本当の自分は。