伯父と今生の別れ。

ナムアミダブツは「南無阿弥陀佛」ではなく、やはり吉川英治さんが書くように「なむあみだ仏」なのだろうな。
いささか難しい物言いになってしまって申し訳ないのだけれど、僕はそう思う。
ナムアミダブツを「なむあみだ仏」と書く柔らかで優しい筆致の中にこそ、一筋の射すような光の導(しるべ)があるように思えてならない・・・。


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たいへん可愛がってもらった伯父と、今生の別れ。
伯父の葬儀へと赴く。


読経に併せて読むようにと渡された冊子の中に僕は、「なむあみだ仏」と平仮名で書かれているのを見つけ、先述の思いをあらたにした。


御主の読経を聞きつつ冊子の経を文字で追う。
追いつつ亡き伯父に想いを馳せる。
経の中の言葉たちが珠となり弾となり、いちいちが僕のような者の胸さえ突く。
「なむあみだ仏」のくだりで堪らず落涙した。


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祭壇の花を故人に手向ける折、その棺の中に供えられた何枚かの写真の中に僕の娘や息子の幼少時の姿があり、
伯父はもとより叔母や従弟、従姉の優しさに触れた思いがした・・・。


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なむあみだ仏。