生きろ!

たとえばアナタがもしも、高校球児を持つ親御さんなら、
少しだけ想像してみてほしい。


僕らからすれば、高校のバスケットボールは全くの門外漢だからね、
あまり詳しくはないのだけれど少年の自死は悔しい。
やはりスポーツと暴力の縁(えにし)を断ち切れぬのは、どの競技も同様なのだろうか・・・。


何故だ?
どうしてスポーツの指導に暴力は付き纏うのか?


え?強くなるため?


強くなるってどういう事?
そもそも強さって何だい?


黙って暴力に耐えれば強くなれるのかい?


そうだよね、強さって一体何なのだろうね?


勝つ事?
勝つ事が強さなのかね?
何に勝とうとしているのかね?


負ける強さを認める事は出来ないのかね?


勝つ事って何なのだろうね?
スポーツに於ける本当の勝利って、アナタは何だと思う?


学校の、さ、
本来の部活動の在り方を、そろそろ見直さなければならない時期に来ているのではないか?


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スポーツの誤った指導により、一人の少年が自らの命を絶った。


「弱過ぎる・・・、現代の子は簡単に死を選ぶ。」
そんな事を言えるオトナは、どれほど自分を強いと思っているのだろうね・・・。


その少年は弱くない。
断じて僕は言うよ、
その少年は弱くはありませんでした。


「お母さん、お弁当美味しかったよ。」なんて、なあ、
覚悟を決めた人間が死ぬ間際に口に出来るかい?
その少年は強い少年だったのだ。
僕らの息子たちが野球を好きなのと同じように、なあ、
バスケットボールが好きな少年だったのだ。


簡単に死を選ぶ人間なんていません。
簡単に死ねる人間なんてどこにもいません。


その少年は痛かっただろうよ。
想像を絶する悲しみや苦しみだったろうよ・・・。


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「今まで育ててくれてありがとう。」って、少年の遺書には書かれていたのだそうだ。


僕を含めてアナタも同じ、
育ててくれてありがとうなんて「想い」を「言葉」を、親に向けた事はあっただろうか?


僕らよりもずっとずっと、その少年は強かった。
強くて、そして優しかったのではないか?


本当の強さとは、優しさの事なのではないか?


少年は既に強かったのだ。
そんな少年を暴力によって強くしようなどと顧問は考えていたのなら、
悪いが言わせてもらうよ、その教師は愚か者だ。


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想像しなければと僕は思う。
自らの事として少年の親の心を想像しなければなるまいと僕は思う。
なぜなら僕らもまた親であるのだから・・・。


なあ、少年たちやい、
強く、そして優しい少年たちやい、
頼むからさ、お願いだからさ、君のお母さんやお父さんよりも先に逝くな。


君が死を決意したのなら実行に移す前に周りのオトナに声を掛けてくれ。
オトナは弱くて汚くて、信じるに値しないと思えるかもしれないのだけれど、
君の命を守る刃を持ってる。


暴力に負けるな。
暴力に屈するな。