(3月11日、震災から4年が経った日に記述 )


その日は金曜日で、僕は御徒町にいたのであった。
地面が、あんなにも揺れるなんて思わなかった・・・。


電柱もビルも、軋む音をたててたわみ、
電線が大きく大きく波打っていた・・・。


ガラスが割れる音やら悲鳴が聞こえて、
店先の商品が横から飛んできて、
ああ、僕もここで終わるのかと考えたのだが、
不思議と恐怖は無かった・・・。


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弁当屋さんで、大きなペットボトルの水を数本と、
売れ残っていたオニギリをあるだけ買って、車に乗り込んだ。
いつもなら1時間少々の道程を、4時間以上かけて帰宅した。


現在、振り返ってその日の反省点を挙げると、
もっともっと積極的に周囲の人に声を掛けてあげられれば良かった。
オニギリと水を、見掛けた高校生だけではなく、もっと多くの人に分けてあげられたのではないかと思う。


ワゴン車に一人も、もったいなかった。
目白から田無まで渋滞ではあったが、新青梅街道を通ったのだから、
歩道を歩いている人に声を掛けて乗せてあげればよかった・・・。
紙にでも「 田無方面 」って書いて車に貼っておけば、徒歩の帰宅者の人は助けを求めてくれたのではないか・・・。


平時から、もっともっと備えておかなければならないな、
物もそうだが、落ち着いた行動が出来得る心を・・・。


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車のラジオから流れる災害情報を聴き、
東北地方の惨状の様子を知り、そして初めて恐怖を感じた・・・。


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あの日から4年。


どれだけ僕は誰かのために涙を流してあげる事が出来ただろうか・・・。
そんな事を考えている。


力を尽くす事も、汗をかく事も、とても大切な事なのだけれど、
涙を流す事は、何よりも一番大切なんじゃないか?


甘い考え方だろうか?