幼馴染みのオッサン5人で軽い宴。
5人のうち、僕を含む3人が下戸という宴なのだが、
そこはアナタ、
ランドセルを地面に置いて遊んでいた頃と中身は同じなのでオッケ〜牧場です。


しかし、
メンバーの半数以上がお酒を飲めないのに居酒屋へ行くと、
お勘定はかなり高くなりますな・・・。
だが、
まあいいや、許そう。


見た目は全員オジサンなのだけれど、
気分は、なあ、
第一パン」や「京カラー」(いずれも駄菓子屋さん)にいるような感じがしてきて不思議だ。
子供だった頃がつい昨日の事のようだ。


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子供の頃の思い出をいろいろとここに記述してきたが、
結構僕の記憶は正確だったと立証された。


唯一間違っていたのは、
関越自動車道、旭が丘シェルターが出来る以前、
ぶら下がって遊んでいた時に落下したのはYくんではなくKくんだったって事だ。


それにしてもな〜、
よくぞ生きて50歳を迎えられる僕らであるな〜。
危険の数々は幼少期に集中しているので、
現在小さな男の子を子育て中の親御さんは注意要だぞ・・・。


下宿の市民センタープールへ行く際、
一列になって一時停止しないで道路を横断して、
Wくんの自転車の後輪が軽トラックに吹き飛ばされた光景は、
全員がハッキリと覚えていた。
自転車は大破したが、Wくんはかすり傷一つ負わなかった。
それは奇跡であった。


ピンポンダッシュをして逃げる時にYくんが車に跳ねられて無傷だったのも奇跡だ。


奇跡的に僕らは生きているんじゃないか。
昭和50年代初頭の男子たちは、皆そうしてオジサンになったのだ。
ちょっとやそっとじゃ負けねえぞ・・・。


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僕が半ズボンのお尻のポケットに爆竹を入れているのをうっかり忘れて、
すべり台をすべってしまって爆発した時、
みんなは僕が狙撃されたのかと思ったそうだ・・・。
無傷じゃなかったのは僕だけか?


否、それぞれ多かれ少なかれ傷は負っているはずだ。
それが我々オジサンたちの人間的な深さになっているのだろうね・・・。


僕なんかファーストキスの相手はアスファルトだったんだぜ。
原チャリで転倒してな。


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同年代の全てのオジサンたちよ、
どんな姿になっても、
どんな状況にあっても、
生き抜こう・・・。


幼馴染みはアイツもコイツも昔のままです。