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母方祖母の弟である大叔父は、僅か19歳で出直し(死去)した。
昭和の初期、結核であった。
旧制T中学(現在のT高校、僕の母校)を卒業したばかりの、
さあ人生はこれからといった時期の死であった。
曾祖父母の代にいろいろな不幸が続き、
祖母の姉弟たちは辛酸の限りを味わい育っていたと聞く。
死の直前の枕元で姉である祖母が祈ろうとしたところ大叔父は顔を背けて、
溢れんばかりの涙を浮かべてそのまま逝ったのだそうだ・・・。
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大叔父が遺した日記(簡単なノートだった)を僕は、
祖母から中学生時代に見せてもらったのだが、
あのね、本当に本当に不思議な事なのだけれど、
そのノートを書いた記憶が僕にはあったのだ・・・。
信じてもらえないかもしれないけれど、そのノートは間違いなく僕が書いた物であったのだ・・・。
前世とか輪廻転生の有無を議論する気はサラサラ無い。
だが、人間の命の中の記憶には、幾つもの説明がつかない不思議があるのも事実だ。
ノートには、「 俺は悔しくてたまらない。 」とあった。
それを書いた時の記憶が鮮明に蘇った・・・。
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因縁。
もしかするとこれを因縁と呼ぶのかもしれない。
僕は、「 悔しくてたまらない 」想いを持って生まれた人間であるのかもしれない・・・。
悔しさや恨みといった感情を捨て、
シアワセを探したり、何があっても全てを許そうと努めている僕の現世の出発点は、
こんな負の感情からではなかったのかとつくづく感じてならない・・・。
何も因縁の無い人間はいないよ・・・。
今日もシアワセを見つけなければ、
誰かの心を少しでもシアワセにしたいなと考えている。
悔しさや恨みや憎しみといった因縁を切り捨てたいと願う。
笑顔で、感謝で、小さなシアワセで心を満たして生きたいものだ。
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19歳を超えて、僕が成人式を迎えた時、
誰よりも喜んでくれたのは母方の祖母であった。
こんなユルユルの、
辛酸とは程遠い人生を歩んで、
現世の僕は51歳だ・・・。
ありがたいありがたい・・・。
やがてまた出直し(死去)して、神さまに再会したら、
「 俺は悔しくてたまらない。 」ではなく、
シアワセで楽しい人生だったと言いたいものな・・・。