何年か前の、伯母の葬儀があった後の事だ。
お清めの席で僕は、お坊さんといろいろな話をした。
印象に残っている言葉は、
神さまと仏さまを並べて考えるのは誤りであって、
仏さまは信仰の対象ではないといった事であった。


仏教は信仰ではなく、思想であり、
その思想に基づいた考え方で日々の生活を送る姿が大切であると仰っていた。


「 だからね、寺院の中に神社があったんだよ。
  お寺を守って下さっているのが神さまなんだ。
 つまり仏教徒に信仰が在るとしたら、対象はその神さまなんだね。 」


なんと大らかな考え方であろう。
僕ら日本人には、様々な思想信条が持つ 良さ を許容する寛大な心が本来備わっているんだね。
浅草寺の、三社祭のお神輿の粋ってさ、そこに通じる何かなんだろうな・・・。


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思想信条に関係なく、
歎異抄が人々の心を惹きつけて癒してくれるのもきっとそれだ。


悲しい気持ちの時に紐解くと、
負い目のひとつひとつを親鸞の言葉が塞いでくれる。


心が洗われるとは、まさしくこんな感覚だ・・・。


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春の読書の一時に、
歎異抄を是非、アナタも読んで下さいな・・・。


本屋さんでは現在、
本当にたくさんの歎異抄関連の本が並んでいます・・・。
心からオススメ致します・・・。


人間は誰もがシアワセに生きなければならないのだと実感出来る、
そんな珠玉の言葉たちに溢れています・・・。


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思想信条を越えて、
世界中のすべての人がシアワセに過ごせますように・・・。


誰かの痛みや悲しみに、
世界中のすべての人が寄り添えたらどんなにか素晴らしいだろう・・・。