孝行Q児

その当時はあくまでも他人事だった。
野球小僧も、その親の事も。何でそれほどまでに熱いのか?真剣なのか?言ってみればそれは、親と子の夏の時代の物語。
あこがれの甲子園の舞台に立った野球小僧の話。

僕のカミさんが、大きな病院の付属の看護学校を卒業し、新人ナースとして、その大きな病院に勤め始めた時、病棟でとてもお世話になったベテランの看護婦さん、Y崎さん。
彼女は非常にパワフルで、典型的なおっ母さんタイプの人だった。当時、二十歳そこそこのカミさんは、彼女に娘のように可愛がってもらっていた。僕たちが結婚した後もいろいろと気にかけてもらい、随分と助けられた。
永六輔さんを「男のオバサン」とすれば、Y崎さんは「女のオジサン」だった。
(このブログ、万が一読まれていたら恐いなー)

Y崎さんの息子、Sくんはずっと野球一筋の元気な野球小僧だった。中学生になってからも大好きな野球を頑張り続けていた。Y崎さんご夫妻も、それはすごい熱の入れようで、傍から見ている僕らも圧倒されていた。

高校進学、進路を決める時の出来事。
Sくんは、子供の頃からずっと憧れていた都内の私立を受験。野球部に入りたくて、だ。
だが野球部関係者の反応は冷酷だった。
「ウチで野球は無理だよ。身体が小さい。」

どれほど彼が、その高校に憧れ、どれほど彼が、野球を愛しているのか。
冷たい言葉で門前払いはないだろう。

誇り高き野球小僧に対してそれはなかろう。


Sくんは埼玉の高校へ進む。
身体こそ小柄だったが、高打率、好守備、俊足の素晴らしい内野手として、ジャーン!
春夏(正確には夏。そして翌年の選抜)甲子園へ!
「2番、ショート、Y崎くん」
テレビを見ながら僕ら夫婦も声援を送った。


その時、Y崎さんの顔がアップで画面に写った。
タオルでほお被りをして、ウチワを両手に持ち、物凄い形相で写った。
テレビ初出演がその顔ではあったが、今になって思うと少しは理解できる。

幼い頃から皆、大好きな野球を頑張ってきたんだもの。
さて、東久留米の新6年生の野球小僧たちのおっ母さん、お父ちゃん。
それぞれの子供たちの一番のファンとして、熱くなりましょう!応援しましょう!
病めるときも、健やかなるときも・・・・・。
応援することを誓いますか?・・・・・はい、誓います。
これからの子供たちのシーズン。たくさんのドラマに泣いたり笑ったりして、すばらしい一年にしましょう。

全てのチームの、全ての子供たち、ひとりひとりにドラマがあります。
「ナイスバッチン!」「ナイスプレー!」
相手チームの子供たちにも、是非、声を掛けて下さい。


ところで、現在Y崎さんはまだ現役バリバリの看護婦さんです。
黒目川沿いをジョギングしています。しかもピンクのジャージです。