敗者ゼロ。

驚くほど涼しい朝だった。
どうやら暑い夏も一区切りついたというところか・・・。
たしかに早朝からセミの声は賑やかなのだけれど、
ふと足元から聞こえるコオロギの声にも気付く。


夏色の絵の具の中に、少しだけ秋の色が混ざっているような感じ・・・。
とっても不思議な感覚の朝だった・・・。


そっとそっとたしかな足取りで、季節は移ろい始めている・・・。


だからこそこの夏の陽射しを、大切にしながら今を過ごそう・・・。


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17点ものビハインドだった・・・。
それは、ともすると、絶望的な点差なのかもしれないけれど、
それでも彼は夏の陽射しを浴びながら打席に立っていた・・・。


ピュアな表情だった・・・。


そんな彼の姿を僕は、半ば羨望の眼差しで見つめていたんだ・・・。


この夏の高校野球の最後の試合。
そして彼は、最後の打者になるかもしれない・・・。
深呼吸をしてバットを見つめ、
ひとつ大きな声を出して投手に対峙した・・・。


打て!
がんばれがんばれ!
打ってくれ!


テレビの画面に向かって僕は声援を贈った・・・。


きっとずっと小さな頃から、
数え切れぬ程の素振りをしてきた事だろう・・・。


だが、彼の高校時代の最後の打球は、
力なく投手の足元へと転がって行った・・・。


1塁ベースへ彼はヘッドスライディングをした・・・。


アウト!


その瞬間に、この夏の高校野球は終わった・・・。
そして彼は、この夏の高校野球の最後の打者になった・・・。


ありがとうを言おう・・・。
僕は君にありがとうを言おう・・・。
最後まで決してあきらめなかった君に、
僕はありがとうを言おう・・・。


「普通に走り抜けた方が速い・・・。」
1塁ベースにヘッドスライディングをした選手に向けて、
そんな事を言う人は多いのだけれど・・・、


そんな事を言うのは間違いだと僕は思う・・・。


飛ぼうとしていたんだ・・・。
彼は・・・。


そんな意志をあなたは持った事があるかい?

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秋を感じた日・・・。
高校野球は終わった・・・。


敗者なき大会であった。