生まれてから1歳の誕生日を迎えるまで、
息子は重い喘息発作のために二度も入院をした。
考えてみれば随分と、病院とは実に縁の深い男なのだな・・・。


小学校へ入学して野球を始めた。
走る事はたいへん辛そうだったのだけれど、
喘息持ちの子供にしてみれば野球って有難いスポーツであった・・・。


そうだよ、その喘息が心配であったものだから、
僕は父ちゃんコーチとして小山ドラゴンズに参加させて頂いたのだ。
最初は、そうだったんだよね・・・。


月に一度の通院の度、
野球が大好きな主治医の先生と話す事が息子の楽しみになり、
もしかしたらその頃に息子の心の中に医師という職業への憧憬が芽生えたのかもしれない。
薬を吸入しながら聞く先生の野球の話は、ワクワクと胸をときめかせるものだった。


息子も、アンパンマンのようなお医者さんに救ってもらった子供の一人だ。
今度は息子自身がアンパンマンになり、たくさんの子供を救うようになってくれたらシアワセだ。


野球があったからだ。
病院にも小学校にも中学校にも高校にも野球があったからだ。
野球に息子は育ててもらった。
グラウンドで仲間たちと一緒に走り回りながら、
いつしか喘息を克服した。


息子が息子の野球の中で出逢えた全ての人々に感謝。


・・・・・ ・・・・・ ・・・・・ ・・・・・


とりとめのない話をつらつら・・・。