10年以上昔の記述になるが、
僕はこの日記に、亡くなった同級生の結婚披露宴に出席した日のシアワセを書いていた。
誰もがその人生には、様々な日があるものだと僕はあらためて感じるよ。


残念ながら彼はその後、事情があって独身に戻っていたのだが、
倒れたのは一人で暮らす自宅ではなく、職場であったのが救いだ。
彼の仕事は介護福祉士で、周りの仲間たちがすぐに救命措置を行ってくれたのだそうだ。
結局は助からなかったのだけれど、遺族にしてみれば心は救われたのではないかと思う。


悲しいのは、
彼が身の回りのお世話をしていたお年寄りたちだ。
「 どうして若くて優しいあの人が自分たちよりも先に・・・。 」
「 代われるものなら代わってあげたい・・・。 」
それは、本当に、心の中から湧き上がる想いの言葉 そのものであった。


彼は、優しい男だった。
優しくて明るい男であった。
そうじゃなきゃ、なあ、
こんな微笑んだような顔をしながら棺の中にいるものか・・・。
僕は彼の悲しそうな顔や、苦しそうな顔を見た事がない。
とうとう最後まで見る事はなかった。
どこまでも優しい、否、優し過ぎる男だった・・・。


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T教では 死 を 出直し と呼ぶ。
人間とは、霊(みたま)だけの存在であり、
ただ、神さまから借りた着物(肉体)を纏って今生に在るのだと言う。
死 とは、その古い着物を脱いで神さまの元へ一度帰る事なのだと聞く。


熱心な信仰を持たない僕だが、
それが真実ならどんなにか良いだろうとだけは思う・・・。


また会いたいよ、
会ってたくさんの冗談を言い合いたいよ。


神さま、よう、
これだけは教えてほしい、
優しい人間から順番に連れて行ってしまうのは何故だ?


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棺の中の彼の顔を見ながら僕らは明るい話を続けていたのだったが、
ふと横を見ると、
Nくんの頬を大粒の涙が伝っていた・・・。


ああ、
もう一度目を覚ましてほしいよな・・・。


同級生の死が、まだ信じられない・・・。