7年前の震災の日、僕は御徒町にいた。
雑居ビルと雑居ビルの間の細い路地にいて、
ユラユラする地面にフラフラとして立ち、
しなる電柱とたわむ電線を見て、いよいよ僕もここまでかと身構えた。


弁当屋さんで売れ残っていたオニギリとペットボトル飲料を全部買い、
それを両手いっぱいにを抱えて車に戻った。
車のラジオで事の重大さを知り、慌てて帰途に就いたのであった。
御徒町から東久留米まで、実に4時間以上を掛けて帰った。


道中、見つけた腹ペコ高校球児たちにオニギリとペットボトルを渡せて良かったのだが、
今振り返って考えてみると、
電車は全て止まっていたのだからな、
幹線道路脇を歩いている人たちにも声を掛けるべきだったなと思う。
8人乗りのワゴン車に僕は1人で乗っていたんだぜ、勿体なかったよな。
紙切れに東久留米方面とマジックで書いて車に貼っておいたらどうだったろうか。
少なくとも何人かは楽をさせてあげられただろうと思うと残念だ。


次回、
ああ、変な言い方だよな、次回って。
そうだよね、次回は無い方が良いに決まっているのだけれど、
何かがあった際には自分以外の誰かを少しでも助けられるように心掛けておきたい。


7年だよ、あれから7年。
僕らはどれだけ涙を流した事だろう・・・。


がんばろう東北、とか、絆 とか、
そんな言葉が国中に溢れていたはずなのにな・・・。
って、
ちょびっと僕は寂しく感じる・・・。


・・・・・ ・・・・・ ・・・・・ ・・・・・ ・・・・・


「 行って来ま〜す! 」
「 行ってらっしゃ〜い! 」


「 ただいま〜っ! 」
「 おかえり〜っ! 」


そんな言葉が普通に交わせるシアワセを忘れちゃいけねえよ。