全ての実習を終えて、息子が家に戻って来た。

夏休みだよ、夏休み、息子にとって人生最後の学生時代の夏休み。

合宿があり、最後となる大会もあり、野球少年としての本当の最後の夏。

26歳まで硬式野球で公式戦を闘えるのだからな、シアワセな事だ。

26歳で硬式野球の公式戦を闘っているのはだな、

プロ野球や社会人野球の選手と、二浪した医学生ぐらいのものだ。

 

「 オ父タン、僕ネ、野球ヲ習イタイ。 」と言って、

学童野球チームのユニホームを着てから20年後の夏なのだ。

 

重い小児喘息だった息子には、野球が合っていた。

チームメートの大切さや対戦相手への尊敬を学び、心を磨いた。

いつの間にか喘息もすっかり治っていた。

息子は、野球によってひとつ上野オトコになった男なのだ。

最終学年の大会では、大暴れしてほしいと父ちゃんは願う・・・。

 

昭和50年、広島カープ赤ヘルとなり初優勝した時、

衣笠、山本と共にクリーンアップを担ったホプキンスは医師でもあった。

現在はアメリカで、整形外科医として活躍中だと聞く。

昔から、野球の好きなお医者さんはたくさんいたのだ・・・。

 

息子の野球の最後の大会を僕は観に行く予定だ。

 

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息子に、息子がもしも生まれたらどうだ?と尋ねたところ、

「 野球を習わせたいな。 」との答えであった。

 

ただ、息子は多忙になるであろうから、

なかなか自分の息子とはキャッチボールする時間すら出来まい・・・。

と、なると、

ジジイの出番じゃないか!

 

よし、今のうちから肩を作っておこう。

息子の息子(孫)の初グローブはジジイである僕が買おう。

 

野球は素晴らしいスポーツなのだ。

コレでイイのだ。