今日のシアワセと、3年前の悲しみについて
家族揃って晩ごはんを食べる・・・。
それは、ごくありふれた生活の中の一場面なのかもしれないけれど、本当はとってもシアワセな事なんだ。
今日と同じ明日が過ごせますように・・・。
明日と同じ明後日を迎えられますように・・・。
あたりまえのシアワセを、あたりまえだとは思わずに生きていたいものだ・・・。
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カミさんと娘が作ったギョーザだ・・・。
僕のおフクロがカミさんに伝えた味・・・。
我が家伝統の由緒正しきギョーザだ・・・。
カミさんと娘は、とても楽しそうに何やら話しながら、ギョーザの皮にアンを包んでいた。
娘の頭の中には、すでにギョーザのレシピはインプットされていると思う。
いつか娘が母になった時、子供に食べさせるだろう。
子供も、このギョーザが大好きになるだろうな・・・。
そして将来、ハヤトのお嫁さんにもね、カミさんはギョーザの作り方を教えるだろう・・・。
こうやってシアワセはつながって行く・・・。
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パリパリってね、羽根つきこんがり焼きギョーザ。
けれども中身は柔らかジューシー・・・。
熱〜いギョウザが大好きさ。
小皿に入れる。
押忍っ!って言って、お酢を入れる。
ララララ〜って唄って、ラー油を入れる。
醤油は最後に入れる。・・・ショーユーこと。
子供の頃から大好きだったギョーザ。
アイ・ラブ・ギョーザ。
ギョーザ・マイ・ラブ。
ラブ、そして僕はデブ。
ごはんがススムくん・・・。
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テレビを消そう。
家族で話しながら食べようよ・・・。
娘の学校での様子を聞く・・・。
やっぱり体育の時間のソフトボール話が面白い。
フライの捕球については断念した由。
今度はね、ピッチングが出来ないと真剣に嘆く・・・。
下手投げをする時、右手と一緒に右足も前に出ちゃうのだそうだ・・・。
「もう、嫌んなっちゃう〜。」と、娘は言う・・・。
きっと先生だってさ、嫌んなっちゃう〜って思っているんじゃないだろうか?
楽しく家族で会話が弾む。
贅沢な食事じゃないけれど、とってもとってもシアワセなんだ。
明日も明後日も、今日と同じシアワセが続きますように・・・。
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ありふれているのだけれど ありふれていない。
あたりまえなのだけれど あたりまえじゃない。
普通の暮らしが続けられる事の奇跡にふるえる。
ささやかなシアワセの贅沢さを思う・・・。
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そうだった・・・。
3年前の10月23日は、土曜日だった・・・。
ハヤトと一緒に僕は、シアワセな気持ちで野球から帰って来たのだった・・・。
お風呂で汗を流してから、居間でテレビを見ていた時に、
新潟の大きな地震を知った・・・。
68人の尊い命が失われた日から、早くも3年が経った・・・。
68人の方々の中に、6年生の野球少年、Hくんがいた。
中学生になったらね、野球部に入る事を楽しみにしていた男の子だったと聞く。
彼を想うたびに痛む心がある。
どんなにか仲間たちと一緒にグラウンドを走りたかっただろう・・・。
中学生の野球少年たちの輝きを見つける時、僕はHくんを探そうと思う・・・。
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晩ごはんを食べながら、僕は今日も笑っていた・・・。
いくつかのシアワセを感じながら1日を過ごしていた・・・。
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今を大切にして生きなければならない。
刹那的ではなく・・・。
普通の暮らしが続けられる奇跡に感謝しながら、ね・・・。