風景は変わるけれど。

切り倒される木を見るのは、やっぱり、あまり気持ちの良いものではない・・・。
ようやくちらほらと芽吹いたばかりの枝を不憫に折り曲げながら、クヌギがゴロリと横たえられていた・・・。
畑だった場所も、そこに憩いの日陰をこしらえていたクヌギも、こうしてその役割を終えたんだ・・・。
きれいに整えられた土地の空気は、真冬の昼下がりの寒さを一層と増すように思えた。
長いこと親しんできた小山の風景は、少しずつ姿を変えていく・・・。


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あれはいつの日のことだったか。
そうだ、まだハヤトが小学校4年生だった頃の夏のことだ・・・。
小学校時代の野球は、半日だけの練習だったので、お昼ちょっと過ぎに家路に向かう僕とハヤトは、ちょうどこの場所を通った。
ふと見上げたクヌギの枝に僕は、大きなノコギリクワガタを見つけた。
クヌギの葉っぱの陰で、真夏の太陽から隠れて休んでいる様子だった・・・。


僕がそれをハヤトに教えると、大喜びをしてスルスルと木に登り始めた・・・。
落っこちはしないだろうかと気を揉みながら僕は、木の下からハヤトを見ていたんだ・・・。
傍から見ればきっと、マダガスカル諸島あたりのオジサンが、サルを木に登らせてバナナを採っている姿と同じだったろうと思う・・・。
「ノコクワ・ゲットだぜ!」
その時のハヤトの、まだ甲高い頃の声と、クヌギの葉っぱ越しに差し込む光の様子をハッキリと思い出す・・・。


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楽しかった日々がある。


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たぶん、ずっと、僕はシアワセだった・・・。
きっと、今でも、僕はシアワセなんだ・・・。
たくさんの思い出がある・・・。
これからもたくさんの思い出を作る・・・。
日、一日と、暮らすなかで街が好きになる・・・。
僕は、東久留米が好きだ・・・。
小山の風景が好きだ・・・。
ここで、僕は、家族と生きてきたんだものな・・・。
ここで、僕は、家族と生きていくんだものな・・・。


きれいに整えられた土地に、たくさんの家が建ち並ぶのだろう・・・。
あの頃の僕らのような若い家族たちが街に増えればいい・・・。
たくさんの思い出を作りながら暮らせる街で在り続けてくれればいい・・・。


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風景は変わっていくのだけれど、
人間の暮らしや、人間がシアワセを感じる心だけは変わらないんだ・・・。
ずっとずっと・・・。


そう考えると、少しだけ元気を取り戻せたような気がする・・・。
ゴロリと横たえられたクヌギの姿は寂しいけれど・・・。


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小さなクヌギの朽ちた枝を一本、僕は家に持ち帰った・・・。
プラスチックの容器に入れて、プチプチと空気穴を開けた・・・。


暖かくなったらね、ヒョッコリと朽木の中からクワガタ虫が出てくるような予感がする。