大杉勝男さんについての補足。

毎週土曜日の朝、時間はちょうど7時半からだ・・・。
FM79.5(エフエム埼玉)にて、栗山英樹さんがパーソナリティーをしている番組がある。
野球を愛して止まぬ栗山さんの想いがたっぷりと詰まった、それはそれは楽しいラジオ番組だ・・・。
この界隈のね、野球少年を持つ親父たちの多くや、子供たちに野球を教えている指導者のみなさんもおそらく、
グラウンドへ向かう車の中で聴いていたりするんじゃないだろうかと思う・・・。
まだ聴いた事のないアナタも、是非一度聴いてみてほしい。
心優しき野球人、栗山英樹さんの人柄に魅かれるはずだ・・・。


その番組の中のひとつのコーナーなのだけれど、
〜わたしが好きな(好きだった)プロ野球選手〜と題して、
リスナーからのお便りを募集している。
毎週いろんな世代の方々から寄せられているそれらの選手の話題を聴きつつ僕は、
いつか大杉勝男さんの事を書いて送ってみようかなんて考えたりしている・・・。


「続きまして次は、東久留米市にお住まいの、ハヤトの親父さんから頂いたメールです。
 私の好きだったプロ野球選手は、大杉勝男さんです・・・。」
な〜んてね、もしもラジオで栗山さんが読んでくれたりしたらうれしいだろうなぁ・・・。


本当に暖かくて、すごくイイ内容の番組だ。
ご一聴あれ。


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昨日の記述の、補足になるのだけれど・・・。


大杉勝男はなぁ、月にいるお兄さんに向けてホームランを打とうとしてるんだ。」って、
僕に教えてくれたオジサンについて書こう・・・。


生まれて初めてプロ野球を僕が観に行ったのは、神宮球場だった・・・。
古いコンクリートの階段を昇り、スタンドに辿りついた時の、
美しい緑と土のまぶしさをハッキリと憶えている・・・。
従兄に連れられて、幼かった僕と弟は、野球の風を胸いっぱいに吸って、ただワクワクとしていた・・・。


「お〜い、ここはファールが飛んできて危ないからな、オジサンの隣りにおいで・・・。」
見た目は恐そうなオジサンだったのだけれど、とても親切な人でね、ずっと僕らをかばいながらいてくれたんだ・・・。
焼きそばやらフランクフルトやらジュースやら、たくさん買ってくれてうれしかった・・・。


僕ってヤツは、そう、
食べ物をくれる人、イコール、善い人。って感覚がある。
その土壌はきっと、この頃に培われたんだな・・・。


「君たちは兄弟か?そうかそうか・・・。
 ずっとずっと仲の良い兄弟でいるんだぞ・・・。」
そう言ってオジサンは、大杉勝男さんのお兄さんのエピソードを話してくれたんだよ・・・。


本当に大杉勝男さんがね、亡くなったお兄さんが月にいるって信じていたのかどうかは知らない。
もしかしたらさ、そのオジサンの作り話だったのかもしれない・・・。
でも、たとえそうであったとしても・・・、なんとオジサンはロマンチストだったのだろうと思う・・・。
大人になった今でも僕は、その話をずっとずっと信じ続けていようと考えている・・・。
野球はドラマなんだもんな・・・。
野球はロマンなんだもんな・・・。


月に向かってホームランを打とうとしていた打者は存在していたんだ。
確かに存在していたんだ・・・。


大杉勝男さんは47歳で人生を閉じる・・・。
お兄さんが待つ月に大杉さんも昇って行ったのだと僕は思う・・・。
その人生は、詩だった・・・。
壮大で美しい一遍の詩だった・・・。


大杉さんのホームランも、
あのオジサンの酔っ払った笑顔も、
幼かった僕の心の中に、宝物を残してくれた・・・。


生まれて初めてプロ野球を観に行った日の、
大切な大切な思い出なんだ・・・。


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ジマワリ・・・。
あるいはヂマワリ・・・。
あのオジサンは、ジマワリの人だったらしい・・・。
ジマワリの言葉が持つ意味も、
漢字でどう書くのかも、
僕は、あえて、ここには書かない・・・。


昭和50年代の神宮球場では、
とても大変な問題を起こす人たちだったのだそうだと、
僕が知ったのはね、随分と後になってからの事だ・・・。


でもね、あのオジサンは優しい人だった・・・。
子供の心のアンテナには間違いはない・・・。


カキーン!だ・・・。


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あのオジサンみたいな顔で笑える大人に僕はなれただろうか?