20歳から21歳になるまで、
西暦で言うと1986〜1987年にかけて僕は、本当に不思議な出逢いを繰り返しながら日本中をタダで旅して周れた・・・。
このS・ヤイリというギターを背負って、ほぼ手ぶらで、だ・・・。


路上で唄っていると声を掛けてくれるヒトがいて、
その人の家に泊めてもらい知り合いを紹介してもらったりして、
次へ、また次の町へと、本当に楽しく不思議な1年間であった・・・。


北海道の函館の先の森から、山口県宇部まで、
実にいろんなヒトたちの考え方に触れ、様々な問題を間近で見て、
自分なりの「言葉」を紡ぎながら歌を作り唄い続けた。


路上の楽しさはもちろん、それ以外の唄う場所も多種多様で面白かった。
集会であったり、ライブハウスであったり、お寺だったり、
きちんとしたコンサート会場だったりもした。


現在、路上で唄う若者の姿は普通になっているのだけれど、
当時はまだ珍しかったのではないかと思う。
投げ銭」や、集まってくれたヒトたちの「カンパ」ではあったが、
とりあえず最低限のお金も入って、人間としての誇りは失わずに済んでいた。


その頃に出逢ったヒトや、
実際に見て触れた事の全ては今、僕の財産だ。


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「こうした生き方をホーボー(吟遊詩人)と言う。
この生き方を君は仕事にしないか?
レコードを出して売れて有名になったり、お金持ちになる事は出来ないんだけれど、
こうやって集まってくれる人たちの傍にいて、その人たちの心を裏切らない歌を作り続けていれば、ね、絶対に食う事だけは困らないって保証する。」


まだ20歳だった僕には、そんな決断をする勇気は無かったのだが、
世の中にはいろんな生き方があるのだと知った・・・。


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昨年の震災で亡くなった方々は15000名あまり。
そして実に年間の自殺者数は30000名以上におよぶ。


その数の大きさにただただ圧倒され、打ちのめされるのだけれど、
その一つ一つの悲しみや痛みに想いを馳せると僕は、
胸がしめつけられて張り裂けそうになる・・・。


20歳だったあの頃の純粋さや無垢な心はもう残っていないのかもしれないのだが、
僕はまた唄わなくてはならない・・・。


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な〜んちゃって、な。
ジャラランだぞ、ジャララン・・・。
ギターってさ、どうやって弾くんだったっけ?